台風が過ぎ去ったあとの波の荒いときに、やっとの思いで、ジェットコースターのように揺れる船で波照間島につきました。今から15年以上前の話。
その船のことを書いた前回の話はこちらです。
港に車で迎えにきてくれた宿のお姉さんは、30代くらいのきれいでやさしくて洗練された感じの素敵な方。
私ひとりだったので、船酔いしてボロボロだった私を気遣って、道に段差があるところは、しんどいですよねといって、特にゆっくり運転してくれました。
宿につきました。今から15年以上前のことですが、この宿はオープンしてすぐにすごく人気が出てしまった頃。
そのため大変そうなお母さんを手伝うためにお姉さんは、お子さんが夏休みの間、外国から帰国して手伝いにこられてたのでした。
お子さんはハーフで外国育ちのため、日本語は一応は話せるもののあまり得意でなく、お子さんは英語で家族とは話していました。
なので、私が最初にこの宿に予約の電話をしたとき、小学生くらいのお子さんが電話にまずでたのですが。
声から男の子みたいだなと思ったのですが、お母さんに電話をかわるときの言葉使いが、すごくきれいな言葉使いで女の子みたいだなとおもったのですが、お母さんの日本語を覚えてそだったからだなぁとこのときわかったのでした。
その宿の予約をしたときのことはこちらに書いています。
実はこのときまで私は、宿は普通のビジネスホテルくらいまでしか泊まったことがありませんでした。民宿やドミトリーはとまったことなくて。
だけど、今から15年以上前のこの島は、ホテル的な宿はありませんでした。今はあります。
なので行かないか、知らない方の同性と相部屋でもいいかの選択しかなく、どうしても波照間島にいきたかった私は、相部屋でも行くのを選んだのでした。
そのころこの宿はネットで調べて、夕ご飯はみんなでテーブルで食べて、サービスでマグロのお刺身とゆし豆腐がでてくるとしったのです。お宿もきれいって。前の話なので、今はこのサービスはないです。
行ってみるとお宿もきれい。知らない方との相部屋の二人部屋だけど、同室のかたも良さそうな方。ほっとしたのでした。
朝の船で波照間島についたので、自転車をかりて最南端の碑を見に行きました。
波照間島の碑もありました。やっと波照間島にこれました。
それから波照間の碑の近くにある波がザッパーンと打ち付ける岩をみました。ここは大迫力でした。
それからペムチ浜にいきました。ここではきれいな貝殻さんにはいったヤドカリさんがいっぱいいました。
それから、すごく暑いので、公民館の近くの木のしたで休みました。自転車で35度℃以上ある炎天下の昼間、かなりの距離を自転車をこいで移動したから。
この頃はほんとに無知で、私がいった7月前半の波照間島はとっても暑くて、自転車で、昼間に動き回るのはとっても無謀なのですが(^o^)
この頃はアラフォーの私でしたが、この頃は趣味のエアロビクスで鍛えてたので、なんとか耐えられたかな。
このあと、とっても楽しい宿だということがわかるのです。つづきはこちらです。
みにきてくださってありがとうございます。あなたが幸せでありますように。いいことがいっぱいやってきますように。
スポンサードリンク